2016年09月30日

アケメネス朝ペルシアの歴史などについて調べたこと

前にスパルタについて少し調べた際にテルモピュライの戦いというのが出てきましたが、そこでスパルタと戦ったのはアケメネス朝ペルシアということでした。

古代ギリシア最強のスパルタ兵、その教育や服装について調べたこと

ということで今回はアケメネス朝ペルシアについて少し調べたのでまとめておきます。

アケメネス朝ペルシアとは

紀元前550年〜紀元前330年に存在した帝国。

アッシリア帝国が滅んだ後、ペルシア人(イラン人)はメディアという国に属していた。
紀元前550年にキュロス2世が反乱を起こしてメディアを滅亡させた。
さらに紀元前546年にはリディア、紀元前539年には新バビロニアを滅ぼした。
そして紀元前525年、キュロスの息子であるカンビュセス2世がエジプトを征服し、古代オリエント世界を統一した。

※古代オリエントとは中東の古代文明。

ダレイオス1世が在位しているときに最盛期を迎え、ダレイオス3世のときにガウガメラの戦いでアレクサンドロス3世率いるマケドニア軍に敗れ滅亡する。

ダレイオス1世

3代目の王。紀元前522年〜紀元前486年に在位。

国を約20州に分け、サトラップと呼ばれる知事を派遣。
さらに「王の目」「王の耳」と称されるサトラップを監視する監察官を派遣して監視した。

また交通網を整備し、王都スーサからサルディスまでの2,699kmを7日間で移動できる「王の道」を建設するなどして驚異的な速度で通信や移動を行うことを可能とした。
金貨や銀貨を鋳造し、交易を積極的に推進した。国内の異民族にはその風習を尊重した。

ペルシア戦争

紀元前499年、トルコ南西部のギリシア植民都市ミレトスが中心となりイオニア地方のポリスがアケメネス朝ペルシアに対してイオニアの反乱と呼ばれる反乱を起こす。
この反乱をアテナイが支援していたことによりアケメネス朝ペルシアがギリシアに攻め込む口実を与えることとなる。
紀元前494年にラデ島沖の戦いにて反乱は鎮圧される。

紀元前492年、ダレイオス1世はイオニアの反乱を支援した報復ということでギリシアに遠征部隊を派遣。
タソス島を制圧したもののアトス岬沖で大しけに遭い撤退する。

紀元前490年、本格的な遠征を開始するもミルティアデス率いるアテナイ・プラタイア連合軍の重装歩兵軍にマラトンの戦いで大敗する。
この時アテナイ側のフィディピディスという兵士がアテナイの元老院に勝利というエウアンゲリオン(良い知らせ)を伝えるためにマラトンからアテナイまで約40km駆け抜けたという逸話がマラソンの由来とされる。

ダレイオス1世が紀元前486年に他界した後、息子のクセルクセス1世が王位を継ぎ、戦いを引き継いだ。
クセルクセス1世は遠征に乗り気ではなかったが最初の侵攻の司令官を務めたマルドニオスの説得され、バビロンとエジプトを平定してギリシア遠征を決意する。

紀元前480年、クセルクセス1世が軍船1207隻を率いてギリシアに侵攻し、テルモピュライにてスパルタが中心のギリシア連合軍を打ち破る。
しかしサラミスの海戦にてペルシア軍は大敗し、クセルクセス1世はマルドニオスに後を託し帰国。
マルドニオスはその後プラタイアの戦いにて戦死。

紀元前465年、クセルクセス1世は側近に暗殺される。
その後も小競り合いが続き、紀元前449年にカリアスの和約が結ばれ戦争は終結した。

兵士とその服装

紀元前525年にカンビュセス2世がエジプトを征服した際にはエジプト人が猫などを神聖な動物と考えていた為、兵士の盾に猫などの絵を描かせた。(盾に猫を括り付けて戦ったという話もある)
これによりエジプト人は盾に描かれた動物を傷つけるのを恐れて逃げ出した。

またアケメネス朝ペルシアには不死隊(アタナトイ)と呼ばれる定員一万人の精鋭部隊がいた。
本当に不死の兵士という訳ではなく、一人倒されても別の新しい兵士がすぐに補充されて戦うことからそう呼ばれる。

多民族から編成されていた為、装備は様々。
メディア人やペルシア人は鉄製の鱗鎧に黒くて薄い布を顔に巻きつけ、槍と木を編んで作った盾を持っていた。

不死隊の中でもさらに選りすぐりの兵士はオイ・メロポロイと呼ばれる親衛隊に編成され、林檎をかたどった金の石突が付いた槍を持ち緋色や花梨色の衣服を着て王の警備をした。

参考文献

  • 西アジア(中東)史「第9回アケメネス朝ペルシアとギリシャ」
    http://www.uraken.net/rekishi/reki-westasia09.html(アクセス日2016年9月29日)
  • 趣味の歴史「アケメネス朝ペルシア」
    http://www.vivonet.co.jp/rekisi/b05_persia/persia.html(アクセス日2016年9月29日)
  • 世界史の窓「アケメネス朝ペルシア帝国」
    http://www.y-history.net/appendix/wh0101-103.html(アクセス日2016年9月29日)
  • ウィキペディア「アケメネス朝」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%8D%E3%82%B9%E6%9C%9D(アクセス日2016年9月29日)
  • ウィキペディア「ダレイオス1世」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%B91%E4%B8%96(アクセス日2016年9月29日)
  • ウィキペディア「王の道」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E3%81%AE%E9%81%93(アクセス日2016年9月29日)
  • ウィキペディア「古代オリエント」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88(アクセス日2016年9月29日)
  • ウィキペディア「イオニアの反乱」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%B9%B1(アクセス日2016年9月29日)
  • ウィキペディア「マラソン」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3(アクセス日2016年9月29日)
  • ウィキペディア「不死隊」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%AD%BB%E9%9A%8A(アクセス日2016年9月29日)
  • ウィキペディア「ガウガメラの戦い」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84(アクセス日2016年9月30日)
  • ウィキペディア「紀元前525年」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D525%E5%B9%B4(アクセス日2016年10月14日)
  • GIGAZINE「ネコ好きを世界中で増やして爆速拡散していったおそるべき23匹のネコ」
    http://gigazine.net/news/20140827-23-most-viral-cats/(アクセス日2016年10月14日)
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タグ:歴史 資料 国家
posted by ナオ at 01:39 | Comment(0) | 資料
2016年08月21日

古代ギリシア最強のスパルタ兵、その教育や服装について調べたこと

厳しい教育のことをスパルタ教育と言ったりしますが、その言葉の元になったスパルタの教育とは実際はどのような教育だったのでしょうか?
また、スパルタというと映画「300」のイメージが強く、戦の時も鎧は着ないで革のパンツ一丁に赤マント、そして兜を被り盾と槍を持って戦うというイメージなのですが、実際そんな恰好で戦ってたのでしょうか?

スパルタ兵の3Dモデルを作るためにスパルタについて少し調べてみたのでまとめておきます。

スパルタとは

スパルタは古代ギリシア時代の都市国家(ポリス)のことで、スパルタ人らはラケダイモーンと呼んでいた。スパルタの重装歩兵軍は古代ギリシア世界では最強だった。

スパルタ教育

スパルタでは子供を産んだら長老達によってその子供は葡萄酒に漬けるという検査を受け、健康に育つと判断されれば育てることが許された。痙攣を起こすようなひ弱な子供はアポテタイの淵に捨てられた。

7歳になると軍隊の駐屯地に集められ生活をする。そこでは頭は丸刈りにされ下着姿に裸足で訓練を行う。12歳からは年に一度マントが支給されるが、それ以外の衣類は支給されないため基本的に全裸で沐浴も禁止。命令には必ず服従し、試験には耐え、闘ったら必ず勝たなければいけない。もし試験で不合格になったら奴隷になってしまう。また、体に障害が生じると殺害されてしまう。

食事は十分には与えられず、大人の食事や畑の作物を盗むように仕向けて大胆さや狡猾さを身につけさせた。盗みに失敗すると鞭打ちの罰を受けた。

16歳から4年間、見習い兵として正規兵と一緒に暮らし訓練をする。このとき槍一本を支給され、荒野で一ヶ月間生活しながらヘイロタイと呼ばれる奴隷達を最低一人は殺害する「クリュプテイア」という訓練を受けた。このクリュプテイアには人を殺すことに慣れさせる目的と、ヘイロタイに恐怖心を与え反乱を防ぐという目的があった。

20歳になると部下を持ち、家では召使いとして使い、戦の時は彼らを指揮する。

女性も強い子供を産むために幼少期から厳しい体育訓練を受けていた。女性の権利や地位もある程度認められていた。

レオニダス1世

レオニダス1世はスパルタの王。在位は紀元前489年から紀元前480年。

アナクサンドリデスの三男であるが、長男であり前王のクレオメネス1世は自殺、もう一人の兄ドリエウスは戦死したためレオニダスが王となった。レオニダスの妻は兄クレオメネス1世の娘のゴルゴ。

ペルシア戦争の際にデルポイの神託を受け、「王が死ぬか、国が滅びるか」と告げられる。そして覚悟を決めたレオニダスは妻に「よき夫をもらってよき子を産むように」と言い残し、精鋭300人を率いて「テルモピュライの戦い」へと向かった。

テルモピュライの戦い

紀元前480年8月にスパルタ中心のギリシア連合軍とアケメネス朝ペルシア軍の間で行われた戦いでペルシア戦争の戦いの一つ。

戦力はギリシア連合軍が7,000人に対してペルシア軍は210万人。ペルシア軍の戦力についてはだいぶ盛られている模様。このときギリシア連合はスパルタではカルネイア祭、オリンピアではオリュンピア祭を開催する年であったため十分な軍が送れなかった。圧倒的な戦力の差であったがテルモピュライは隘路(幅が狭い道)だったためギリシア連合軍はペルシア軍の大軍をくい止めることが出来た。

ところが内通者によってギリシア軍の後ろへ回りこむ裏道が分かると、ペルシア軍は迂回部隊を進ませた。これを知ったギリシア連合軍は撤退を決定。しかしスパルタ軍300人、テバイ軍400人、テスピアイ軍700人はその場に残った。

ペルシアの王クセルクセスはスパルタ軍に降伏を呼び掛けたがレオニダスは「来たりて取れ」と答えた。そしてペルシア軍の総攻撃が始まり凄まじい激戦となった。スパルタ軍はペルシア軍を押し返すもレオニダスは戦死し、矢の攻撃によってスパルタ軍とテスピアイ軍は全滅。しかしペルシア軍の被害も尋常ではなく、この日だけで2万人もの戦死者がでた。

この戦いでペルシア軍の進軍を遅らせた結果、サラミスの海戦ではギリシア軍はペルシア軍に勝利した。

戦時の服装

さて3Dモデルを作るのに一番重要なところですが、これがネットで検索しても映画の「300」のことばかりで実際はどうだったのか詳しいことが書かれているサイトが見つかりませんでした。
ウィキペディアのレオニダス1世のページの画像が一番参考になるかなと思うのですが、画像がちょっと暗くて見にくいですね。

レオニダス1世

このページにあるレオニダス像の写真です。兜はコリント式ヘルムとかいうので良さそうですね。
下半身は暗くてよくわからないのですが、よく見るとまさかのフル○ンっぽいですね(/ω\)
映画「300」はパンツを履いているだけマシだったんですねw

フル○ンってことは上半身も鎧とかは身に着けてないってことですかね?
テルモピュライの戦いのところにある絵も赤いマントのようなものは描かれていますが、やはり裸なのでスパルタ人は戦う時も何も着なかったってことでしょうかね。

スパルタ教育の背景から考えてもやっぱり裸だったのかな。
フル○ンに赤マントの3Dモデルなんて作るのもちょっとあれだし、やはりパンツを履かせるのがベストですかね。

盾についてはラケダイモーンの頭文字の「Λ」の文字を刻むみたいです。

オセンタルカの太陽帝国「おれたちはスパルタ人だー。」

ということは映画「300」の恰好ってほぼ正しいってことでしょうか?
ただ、以下のサイトに実際にスパルタ人が使っていたという盾の写真があるのですが、「Λ」という文字が刻まれているようには見えません。

暇は無味無臭の劇薬「300人のスパルタ人と300人の侍が戦ったらどっちが勝つの?」

「Λ」を刻むかどうかは時代によっても違うということでしょうか?

参考文献

  • ウィキペディア「スパルタ」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%BF(アクセス日2016年8月20日)
  • われおもふこと「本当のスパルタ教育の恐ろしさ・・・」
    http://blog.livedoor.jp/yamato26840/archives/51566512.html(アクセス日2016年8月20日)
  • ウィキペディア「スパルタ教育」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%BF%E6%95%99%E8%82%B2(アクセス日2016年8月20日)
  • 「都市国家スパルタが軍事一辺倒すぎる国家すぎて凄すぎる件」
    http://suliruku.futene.net/1uratop/Rekisimono/EU_minami/Girisya/6.html(アクセス日2016年8月20日)
  • ウィキペディア「ヘイロタイ」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%BF%E3%82%A4(アクセス日2016年8月20日)
  • 科学に佇む一行読書の書斎「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」
    http://sciencebook.blog110.fc2.com/blog-entry-1609.html(アクセス日2016年8月20日)
  • ウィキペディア「レオニダス1世」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%80%E3%82%B91%E4%B8%96(アクセス日2016年8月20日)
  • ウィキペディア「クレオメネス1世」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%A1%E3%83%8D%E3%82%B91%E4%B8%96(アクセス日2016年8月20日)
  • ウィキペディア「テルモピュライの戦い」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84(アクセス日2016年8月20日)
  • TURNING☆POINT〜世界史(西洋史)を舞台にした歴史映画・DVD紹介のサイト〜「歴史人名紹介:レオニダス王(?〜480)」
    http://turning-point.info/jinmeiL1.html(アクセス日2016年8月20日)
  • オセンタルカの太陽帝国「おれたちはスパルタ人だー。」
    http://blog.goo.ne.jp/ryuzojiryuzoji/e/8d80cf592942983a0d425d4d86cde5bc(アクセス日2016年8月20日)
  • 暇は無味無臭の劇薬「300人のスパルタ人と300人の侍が戦ったらどっちが勝つの?」
    http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/3912229.html(アクセス日2016年8月20日)
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posted by ナオ at 11:49 | Comment(0) | 資料